知っている側

音楽の学習では、耳をもっと使って、自分でその音楽の質を判断する力を磨いていかねばならないです。

鍵盤楽器の学習者は譜面を読みながら楽器を弾く訓練の影響が大きすぎるせいか、意外に耳を使って学ぶことを忘れていることが多いです。

ということは普段からレッスンで何度も伝えております。

 

このところ生徒さんの中でも耳を使って学ぶということがわかってきた人がちらほらみうけられてよいことです。

 

そういう学習の仕方をしていると、自分とは違う弾き方だったりするけれども、よい音楽になっていていて、教えている側からみてもこれはまねできないけどいいなあなんて思えます。

 

そして、こういう体験をした人は「知っている側」になります。

脚がつったことがない人につっている感覚は伝えられなくて、いろいろ説明したりするのですが、脚が実際につるまでは体験できてないから知らない。だけどもつったら間違いなくつったと解る感じでしょうか。

 

そういう経験になるのは、直接的なスパルタ指導や訓練をするだけでは得られないし、また一方で個人の意識が変わるのがきっかけだったりします。

 

そういう意味では言葉以外で伝えられることの方が多いのかもしれません。

自分ももっとそういう体験をして、新しい発想にいたりたいなあと最近特に思います。

音楽だけでなく、いろいろなことで。

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