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ついでにアンサンブルの話。ギターでコンピングしない人とか。

前の記事でアンサンブルが当たり前のようにうまく成立していると幸せという話がありましたが、昔から気になっているアンサンブルでこのところもいくつか気になることがありましてついでに書いておこうと思いました。

 

ライブでもセッションでもよく見かけるシーンですが、オルガンやピアノと共演しているギタリストが伴奏に回っている時にギタリストが完全にお休みしてなにも弾いていないのをよく見ます。
個人的にはギターも伴奏楽器でしかもギターでしかできないことがいっぱいあると思っているので、ジャズであってもどんどん最初からバンドサウンドづくりに参加していって欲しいといつも思います。

 

ところが実際はフロントに誰かいてオルガンとギターとかピアノとギターとかだと最初ギターが完全に様子をみて、しばらくしてからちょっと弾き始めたりとかをやる人をよく見ます。

オルガンソロになったときですら最初様子を見る人がいます。
多分そういう人はピアノソロでもそうなんだろうと思いますけど。

 

これって弾きすぎないとか、スペースを作ってとかそういう知的な意図をもってやっているように見えるのでしょうけど、実際一緒にやると遅れて変なタイミングで話に入ってくる感じでやりにくいことが多いです。
伴奏やアンサンブルが上手でない人がいてほしいときにいなくて、しかもへんなタイミングでやってくるから共演者としてはかなりやりにくいです。
想定していたあるべきものが最初にないし、それをフォローしようとしてがんばってたらもうどうでもよくなってから関係ない話がきて、いまさらそれ込みでソロやるのしんどいみたいな。

平たく言うとアンサンブルの速度が遅すぎといいますか。

 

伴奏とかアンサンブルが上手いなあと思うギタリストはそもそも抜けていてもそんなこと感じさせないですし、大体いてほしい時には最初から必ずいて、さらにリズムも音色も邪魔することなく、適切なアイデアや発見を与えて続けてくれます。

 

かならず親切にコンピング(伴奏)してくれという話でもないのでなんといっていいやらなのですけど、おそらくギタリストはセッションとかでピアノの伴奏をまたはピアノと同時に伴奏したときにピアニストに伴奏しないでくれと怒られたりする記憶があって警戒しているような背景もありそうなんですよね。

 

この問題はギターがジャズ界では立場が弱く、ピアノはメジャーな楽器という力関係も多分にあるでしょう。
さらに突っ込んで言うならピアニスト側のピアノ至上主義が強すぎる傲慢さが原因になっているケースも半数くらいはあるのではと思っています。いろいろな演奏を聴いている限り。

平たく言うとピアニスト全員が素晴らしいアンサンブルができるわけではないということです。
しかし、日頃一人でピアニストがバンドのコードを担当することが多いジャンルでもあるので(それはそれでかなり重要なポジションですが)、打楽器やベース以外との伴奏のコンビネーションを意識しなくても問題なく生きていける特殊な状況が原因の一つでもあります。

もちろんピアニスト側も伴奏の内容には誇りをもってやっているだろうというのは容易に想像がつくし、その内容もほかの楽器よりもハーモニー的に高度なことをやっているというのは異論もそれほどありません。

ただその弊害がコード楽器が複数いる時に無意識かもですが、ここでも自分がハーモニーを担当しきらねばと思い込んでしまいがちではというところが気になるところなのです。

 

コード楽器(たとえばギターとピアノ)が二人いるならもちろんギタリストはピアニストの高度なハーモニーやブロック奏法をやっている時とかにはぶつからないように細心の注意を払う必要がありますが、そういうシチュエーションでも必要なところに一発入れた方がよりよくなるケースなんていっぱいあります。
なのにギタリスト側もあきらめて最初からなにもやってない状態ってアンサンブル的にその人いる意味あるのみたいな気もします。

 

変な話サックスだって伴奏の時単音で伴奏に参加したって良いのです。それが音楽的にコミュニケーションがとれたよいものなら。

 

そんなわけで脳死で最初様子をみるタイプのギタリストというか音楽家になるよりも、伴奏であろうと最初から音楽に全力で向かってくれる音楽家がよいなあという話でした。
弾かないなら全力で弾かない。
弾くべき時はすぐに弾く。
ドラムもピアノもベースだって弾かない方がいいことがあれば弾くのやめるべきだし、もちろんオルガンだってそうです。
失敗しながらでもいろいろ間合いとか学んでいかんとです。
自分も含めて挑戦はしていかないと。
できるふりしてるのなんてすぐみんなにばれてしまってるはずなので。

 

前のブログで当たり前の適切なコミュニケーションという話を書きましたが、お伝えしたかったことはこういうことでもあります。

音楽的にあたりまえだけどあたりまえでないかなしみ

先日の久保田浩之カルテット(三木俊雄さん 長谷川ガクくん)の演奏がやった側も聴いた側もみんな納得でほんとにとてもよかったです。という感想の記事。
昨日のライブはメンバーみんな素晴らしくてとてもよかったなあ。しみじみ。
やるべきことが当たり前にできているという前提は文字どおり当たり前なのですが、それが意外と当たり前ではないのかもしれません。
なんか難しそうなこと言ってみました(笑)。
自分自身もちょっとずつできることが増えていっております。たぶん。訓練あるのみ。
という内容でしたが、変な話やる前から絶対上手くいくのはわかってました(笑)。

自分のブログなのでもう少し厳密に補足しておくと、ここでいうところの当たり前とは

・周りの音がちゃんと聴こえて、人として適切に気の利いたコミュニケーションがとれる、適切なタイミングで普通に適切な判断
・全員がドラマー含めて新しい曲でも譜面よんで当たり前のようにテーマのメロディとハーモニーが鳴りながら演奏している
・このテンポでやるよというときの最低限の訓練は習得済みかつそこの重要度は共有できている
くらいでしょうか。おおざっぱには。

プロフェッショナルの音楽家としては実に当たり前のことだと思います。お前ら何年やってるんだ(笑)、といわれてもしょうがないくらいにも見えなくもないです。

しかし、現実にはこれが全体で成立してないなんてことは悲しいけれど本当に多いです。
表面的にうまい人はいっぱいいますけど、なかなかここの条件を満たす人って皆さんが想像するより少ない気がします。
とりあえず自分もまだ至らぬところは多いもののここらへんはさすがにかなり昔から意識はしておりますので、さすがにこういうことが共有できるメンバーだけで演奏できるとまあ普通にそこまで行けるよなあなんて感想です。
とても良い音楽ができて幸せだったのですけど、もっとこういうことを共有したいですなあ。
すごい人はこの上にさらにもっと強力ななにかがあるわけで。