音楽的にあたりまえだけどあたりまえでないかなしみ

先日の久保田浩之カルテット(三木俊雄さん 長谷川ガクくん)の演奏がやった側も聴いた側もみんな納得でほんとにとてもよかったです。という感想の記事。
昨日のライブはメンバーみんな素晴らしくてとてもよかったなあ。しみじみ。
やるべきことが当たり前にできているという前提は文字どおり当たり前なのですが、それが意外と当たり前ではないのかもしれません。
なんか難しそうなこと言ってみました(笑)。
自分自身もちょっとずつできることが増えていっております。たぶん。訓練あるのみ。
という内容でしたが、変な話やる前から絶対上手くいくのはわかってました(笑)。

自分のブログなのでもう少し厳密に補足しておくと、ここでいうところの当たり前とは

・周りの音がちゃんと聴こえて、人として適切に気の利いたコミュニケーションがとれる、適切なタイミングで普通に適切な判断
・全員がドラマー含めて新しい曲でも譜面よんで当たり前のようにテーマのメロディとハーモニーが鳴りながら演奏している
・このテンポでやるよというときの最低限の訓練は習得済みかつそこの重要度は共有できている
くらいでしょうか。おおざっぱには。

プロフェッショナルの音楽家としては実に当たり前のことだと思います。お前ら何年やってるんだ(笑)、といわれてもしょうがないくらいにも見えなくもないです。

しかし、現実にはこれが全体で成立してないなんてことは悲しいけれど本当に多いです。
表面的にうまい人はいっぱいいますけど、なかなかここの条件を満たす人って皆さんが想像するより少ない気がします。
とりあえず自分もまだ至らぬところは多いもののここらへんはさすがにかなり昔から意識はしておりますので、さすがにこういうことが共有できるメンバーだけで演奏できるとまあ普通にそこまで行けるよなあなんて感想です。
とても良い音楽ができて幸せだったのですけど、もっとこういうことを共有したいですなあ。
すごい人はこの上にさらにもっと強力ななにかがあるわけで。

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